『ブサイク症候群』 新水社 さかもと聖朋 ¥1,575(込)
ブスを不快だとは思わないが、 人を不快にするために ブスに産まれてきたような女は存在する。
多田屋稲毛店 石田

『女性も見た目が9割』 マガジンハウス 竹内一郎 ¥630(込)
鏡は、ありのままの現実を映す。 そこに映った自分は、紛れもなく自分自身なのです。
しかし、だからといってそこに映った自分の姿が平均よりも 劣っていたとしても、落ち込んだり、悩んだりするのは 愚かなことだと思う。 何故なら、大抵の人は、大抵の場合において、 物事を印象で判断するからです。
完璧に整った姿、形の人なんてのはほんの一部で、 美人、イケメンに見える人でも よく見れば、お化粧や髪型や服装によって作られた 「雰囲気美人(イケメン)」だと気付くでしょう。
いくら自分の姿を鏡で見た所で、あなたが得るのはコンプレックスだけで、 本当に見るべきなのは自分でなく、他人の姿なのです。
多田屋稲毛店 石田

『こんなに違うよ!日本人 韓国人 中国人』 造事務所 PHP研究所 ¥650(込)
中国や韓国に対して、「日本の隣人だから、仲良くするべきだ」 などと言う人がいますが、あれは何なのでしょうか。 確かに地図上ではすぐ隣に位置してますが、 実際には何千キロと離れているのです。
彼らは「ちょっとそこまで」と言って、中国や韓国に行くのでしょうか?
多田屋稲毛店 石田

『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる』 相田みつを ダイヤモンド社 ¥1,050(込)
わけ合って余るくらい余裕があるなら、うばい合っても足りるのでは? と思ってしまう僕は、夢のない大人になったのか、 いまだにヒネくれた子供なのか、どちらなのでしょうか。
彼の言葉は、キャッチコピーとしてはとても良く出来てますし、 道徳の授業なのでは役に立ちそうですが、その道徳自体が何の役に立つのか? と思ってしまう僕は大人であれ、子供であれヒネくれているんだろうと思う。
多田屋稲毛店 石田

『上を向いて歩こう』 佐藤剛 岩波書店 ¥2,100(込)
「上を向いて歩こう」というのは間違っている。
何故なら、道に小銭や財布が落ちていても 上を向いていたら見逃してしまうからです。
「下を向いて」歩いたほうが、少しは得をするはずです。
多田屋稲毛店 石田

『自分を変える気づきの瞑想法 増補改訂版』 アルボムッレ・スマナサ−ラ サンガ ¥1,470(込)
「今の自分」を変えたいと口にしながら 「過去の自分」悔いている人がいる。
ポジティブなのかネガティブなのか よくわかりませんが、もしかして 「自分を変える」のではなくて 「自分に帰る」ということなのでしょうか。
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『科学的とはどういう意味か』 森博嗣 幻冬舎 ¥798(込)
「科学的とは何か」と考えたこともないような人が 「これは科学的に証明されている!」などと主張する。
小説や映画などで、世界を征服する為に科学を悪用する マッドサイエンティストな科学者が登場します。 しかし、実際に科学を自覚なく悪用しているのは 普段は「難しいことはわからない」と科学を遠ざけ 都合の良い時にだけ「科学的に、、」などと言い出す 普通の人たちなのではないでしょうか。
多田屋稲毛店 石田

『君主論』 ニッコロ・マキアヴェリ 佐々木毅 講談社 ¥798(込)
マキアヴェリは歴史や政治を通して 人間性の現実を冷徹に直視した。
「現実を直視する」
多くの人が口にする言葉ですが これほど困難なことはないのではないでしょうか。 何故なら、現実のほうは人間を必要としていないからです。 それは、人間の永遠の片思いでしかないのです。
そして、人間社会の様々なしがらみに 囚われているのであれば、「現実を直視する」 などということは、なおさら困難なことになるでしょう。
マキアヴェリが本書「君主論」を書き上げたとき 政治的な要因で失職し、44歳にして全てを失った状態であったというのは 「現実を直視する」ということにおいて、少なからず影響があったはずです。
職を失ったことは、人間マキアヴェリには「悲劇」でしたが 作家マキアヴェリには、これ以上ない「幸運」だったのです。
しかし、もしもあなたが上司から率直な意見を求められた時 「無能な上司がのさばっている、こんな組織に未来などありません」 などと言うのは止めましょう。
大きな物を失ったからといって 何かを得るとは限らないのです。 それが僕たちの、残念な現実なのです。
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『電話の受け方 かけ方』 吉川理恵子 日本経済新聞出版 ¥1,470(込)
電話というのは、逃げ場のない相手と一対一の 空間なのです。僕にはそれが堪らなく嫌で、耐えられないのです。
それは例えば、あなたが夜遅くに仕事から帰ってきて 二階にある寝室のドアを開けたとき、体型の崩れた妻が セクシーな勝負下着姿でベッドの上に横たわっているのを見て、 気付かれないようにそっと部屋から出るように
僕は、けたたましく鳴る電話のベルに、そっと背を向けるのです。
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『誰とでも15分以上会話がとぎれない話し方』 野口敏 すばる舎 ¥1,470(込)
僕は他人とはあまり喋りませんが、自分自身とはよく会話するので 自分では結構なお喋りだと思っています。
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『もう、怒らない』 小池龍之介 幻冬舎 ¥1,365(込)
槇原敬之の歌で、「もう、恋なんてしない」 「、、、なんて言わないよ絶対〜♪」というのがありました。
本書も、「もう、怒らない」 「、、、なんて言わないよ絶対〜♪」とかだったりして。
こんなバカな事を言ったら、本書の著者に怒られそうですが いや、その心配はしなくてもよさそうです。
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『裏閻魔』 中村ふみ 竢o版社 ¥1,260(込)
「時代劇」というだけで、大抵の若い人は興味を失う。 それは、自分とは関係ない、どこか遠くの、古臭いもの、と思っているのかもしれない。
本書「裏閻魔」は、安政六年から昭和二十年にかけての 「過去」「現在」「未来」を生きた一人の男の物語である。 主人公、一ノ瀬周は「不死」の鬼込めの刺青によって「不老不死」の肉体になっていた。
残念ながら普通の存在である僕たちは、「今」という時しか生きられない。 だから、「過去」にリアリティを感じられない。 だから、「今」という時をただ自分の事だけを考え生きている。
人の命は短く、その存在は儚かったとしても、時代は「新しい命」によって続いていく。 僕たちはその「環境」の中にいる。決して「個の存在」として孤立しているわけではない。
「過去」「現在」「未来」と時代を超えて生きる本書の主人公を見て そんな事を考えさせられた。
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『宗優子の「心霊写真の世界』 宗優子 リイド社 ¥550(込)
心霊写真なんかよりも、さも当たり前のように「これは間違いなく心霊写真です」とコメントする霊能力者の方がよほど妖しい(怪しい)と思うのですが、人間よりも現象の方がフォーカスされるのは何故なのでしょうか。
「触らぬ神に崇りなし」と言いますが、人間にとって一番やっかいなのは「人間自身」で、「触らぬ人間に崇りなし」という事なのでしょうか。
多田屋稲毛店 石田

『知らないと恥をかく世界の大問題』 池上彰 角川グループパブリッシング ¥978(込)
解説された「わかりやすい情報」というのは、味が無くなったスルメのようだ。他人が噛んで味が無くなったスルメを、ありがたがって食べる人たちが多いのは何故だろう。
こういった人たちは、物事を「理解したい」のではなく、物事を「理解していると思われたい」のではないか。つまり、「他人に説明する」事が前提にあるので、わかりやすくないと困るのだ。
大人として世の中で生きていく為には、「知恵」よりも「見栄」の方が必要という事なのでしょうか。
多田屋稲毛店 石田

『モムチャンダイエット プレミアム』 扶桑社 ¥1,470(込)
ダイエットして痩せるというのは、そんなに凄いことなのでしょうか。
それを凄いというのであれば、最初から太らずに体重をキープしている人の方がずっと凄いし、評価されるべきだと思うのです。
しかし、実際に多くの人に注目され評価されているのは「どう太らないか」ではなく、「どう痩せるか」なのです。
それは、人がいかに「錯覚」しやすいか、という事を示しているのです。
金髪の不良っぽい少年がお年寄りに席を譲っただけで、ちょっとした「美談」になってしまうように、0から1よりも、−10から0の方が評価されてしまうのです。
こうした「理不尽な評価」は、意識的なものでない分、他人に「正等な評価」を求めるのは「痩せて美しくなる」事と同じくらい無謀で難しい事なのかも知れません。
多田屋稲毛店 石田

『ゲーテ格言集』 ゲーテ 新潮社 ¥420(込)
ゲーテの本を読んでいると、いつも窓が気になります。
それは、ゲーテの言葉があまりに今の時代、人間を的確に捉えているので 数百年の時を超えて窓から自分たちの生活を覗き見ているのではないか、そんな気がするのです。
多田屋稲毛店 石田

『奇跡が起きたパワースポット』 森田健 山川健一 幻冬舎 ¥1,575(込)
お祭りの屋台で買ったヤキソバが、やたら美味しく感じるのも
昔を思い出したときに、「あの時は良かった」と感じるのも
パワースポットで癒されたと感じるのも
「そうであってほしい」という思いが 「そうである」という思い込みに変わっているだけなのです。
つまり、パワースポットとはどこかの場所にあるのではなく 人間自身の「信じる力」なのではないでしょうか。
多田屋稲毛店 石田

『俺のコンビニ』 峰月皓 メディアワークス文庫 ¥578(込)
本書を一目見た時、この「タイトル」と「表紙」が妙に気に入ってしまった。
内容は読んでいないので、面白いのか、面白くないのかは分からない。
見た目だけで判断するのはいけない事のように言われるが、それは何故だろう?
例えば、「外見がカッコいい」も「誠実な人柄」も自分から見た印象でしかないのだから、たいした違いはないのではないか。
「外見より中味」というのは、ただ単に見栄を張っているようにしか思えない。
僕には見栄を張らなければいけないような知り合いもいないので 自分に正直でありたいと思う。
と、いう事で今回は「内容」ではなく「表紙」で本を選んでみた。
多田屋稲毛店 石田

『不幸な子供』 エドワード・ゴーリー 柴田元幸(訳) 河出書房新社 ¥1,050(込)
大人は子供に「都合のいい現実」しか教えたがらないのはなぜだろう?
子供だって自分で見て、考える事が出来ることを忘れているのだろうか?
それとも、都合の悪い現実に目を背けているだけなのだろうか?
子供が一番傷付くのは、大人の嘘だ。 そして、「正直でない大人」は一番嫌われる。
本書「不幸な子供」は、大人こそが読むべき絵本だと思う。 それは、本書がとても「非常識な絵本」だからだ。
その「非常識」の中にこそ、大人が忘れてしまった「嘘のない現実」あるのだ。
多田屋稲毛店 石田

『ソニーVSサムスン』 張世進 日本経済新聞社 ¥2,625円(込)
「何故、失敗したのかと考えることは有益である」
「何故、成功したのかと考えることは有害である」
何故なら、前者は現実を直視しており 後者は夢を見ているからである。
前を見ずに歩いて、転ばない人間がいるだろうか?
多田屋稲毛店 石田

『これからの「正義」の話をしよう』 マイケル・サンデル 鬼澤忍(訳) 早川書房 ¥2,415円(込)
本書は、ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る人気講義「Justice(正義)」を書籍化したものです。
もしも、この世の中に絶対的な神様が存在したのなら 「正義とは何か」など考えなくて済んだのかもしれません。
しかし、残念ながら「神様」は存在しないし 「問題」を考えることが出来るのは人間しかいないのです。 そして、その「問題」の多くは、人間自身が作り出したものなのです。
自分たちの問題くらい、自分たちで考えて答えを出す。 それくらいの能力が、人間にはあると信じたいものです。
多田屋稲毛店 石田

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』 デボラ・ブラム 鈴木恵(訳) 文春文庫 ¥980(込)
幽霊なんかに、興味はない。 幽霊なんかを信じている人間に、興味がある。
多田屋稲毛店 石田

『草食男子0.95の壁』 竹内久美子 文芸春秋 ¥1,000(込)
腐った肉を食べるくらいなら、草を食べた方がいいと思う。
「草食」というのは片方の視点での認識であり、「肉を食べない」というのはただ単純に「食べたい肉がない」だけなのでは? 、、、というもう片方側からの意見でした。
多田屋稲毛店 石田

『自分がわかる909の質問』 サルバトーレ V ディダート 宝島社 ¥1,400(込) この909の質問で確実にわかることは あなたはとても根気強いか、余程、暇人かということです。
多田屋稲毛店 石田

『アホの壁』 筒井康隆 新潮新書 ¥714(込)
「アホ」について書かれた本ですが 「アホ」の為に書かれた本ではありません。
「アホ」とは何かを考え、分析する、それ自体が「アホ」っぽい気もしないではありませんが、一応、真面目な本なのです。
残念ながら、本書を読んでも「アホ」は治りません。 それは、どんなに走っても自分の影を引き離せないのと同じ事です。
人間と「アホ」の間にあるのは「壁」ではなく「影」なのではないでしょうか。
多田屋稲毛店:石田

『殺人者たちの午後』 トニーパーカー 沢木耕太郎 訳 飛鳥新社 ¥1,785(込) ハードボイルド小説のようなタイトルですが マッチョで女性にモテる主人公は登場しません。
本書は、もっとも重い罪を犯してしまった人々の告白の書です。 もっとも重い罪、つまり「殺人」です。
何故、人殺しの言い分などを聞かなければならないのでしょうか? ただのやじ馬的な興味? それとも、「貧困」、「心の闇」などと重い言葉を軽く使うメディアのように、 それらしい言葉を押しはめて安心したいだけなのでしょうか?
その理由が陳腐なもので、人に聞かれて思わず誤魔化してしまうような事でも、 自分の知りたいという思いに嘘はつけないのです。
「人の命」とは、何なのでしょうか? それを奪ってしまった彼らは、一体何を語るのでしょうか?
それを今、知りたいと思うのは、自分が死んでしまってからでは遅いからです。
多田屋稲毛店:石田

『ジャックメスリーヌの生涯』 ジャックメスリーヌ ハヤカワ文庫 ¥1,029(込)
サングラスをかけたからって、強くなるわけではありません。 それなのに何故、強くなった気がするのでしょうか。 それは、自分の視界を遮ることによって、他人の視線を意識しなくなります。他人が介在しない想像の世界では、どんなことだって自由になるように、サングラスをかけることによって、同じような現象が起こっているのではないでしょうか。
こうした「情報の一方通行可」は、想像的なイマジネーションを生み出すキッカケになることがあります。その一方で、情報を制限してしまうことで、偏った考え方になってしまうこともあるのです。こうしたことは、サングラスをかけなくても似た状態になることがあります。
世の中の多くの善良な人々は、「正直者がバカを見る」と、自分たちが一番の被害者のように嘆きますが、本当にそうなのでしょうか。 善良な人々ですら理不尽な世の中なのなら、「善良でない人々」にとっては、もっと理不尽な世の中ということになるのではないでしょうか。
本書「ジャックメスリーヌの生涯」は、フランスに実在した犯罪者が獄中で書き出版した、自伝的犯罪小説です。 犯罪小説として面白く読めるのですが、「現実に起こった犯罪」というリアリティが本書を「ただ面白いだけの小説」以上の存在にしています。 健全な社会、善良な人々から「悪」の烙印を捺された彼は何を考え、どう生きたのでしょうか。
僕は彼からある種の「正しさ」を感じました。 ただ、そのことにとまどいは感じませんでした。 それはきっと、僕には似合わないサングラスを一度もかけたことがなかったからだと思います。 多田屋稲毛店:石田
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